自然あふれる尾鈴の山奥で蒸留酒を手作業でつくっています

久保さん 高鍋農業高校出身

学生のころに経験していたことが今につながった不思議な縁

農業高校に進学したのはなぜですか?

人が生きていく上で“食べる”ということがなくなることはないので、食品関係のことを勉強しておけば、就職先も困らないのかなと思いました。

食に興味を持ったきっかけは、実家の周りに農家が多かったことも関係しています。

家に帰ってきたら、家の前に近所の人が持ってきてくれた野菜などが置いてあることが普通。そういうのを見ていると、食に困らないことは大事だと感じていました。

小学生のころから、実家だけでなく親戚のところでもいろいろなお手伝いをすることになって。農作物を育てるだけでなく、コンクリートの補修・牛舎建て・牛の出産・敷地の整備・芝生植えなど、今なら「普通じゃない」と思えるような、さまざまな貴重な経験をしてきました。高校生のときには、叔父の家で芋を掘っていましたし。

幼いときからそんな環境で育ってきたので、経験がないことも“やればできると思うからとりあえずやってみる”という姿勢につながりました。何でもやってきた経験が、身になっていると感じる部分が多いです。

就職先はどんな視点で選びましたか?

ちゃんと何かを考えていたわけではなく、就職しようとしか考えていませんでした。

まずは地元の役場の採用試験を受けようと、採用試験の問題について知るために、いろんな学科の先生のところを回りました。

試験には落ちたのですが、そのときに力になってくれた先生たちが、「有名な優良企業だけど、なかなか募集がない。ちょうど募集が出たから受けてみるといい」ということで、今の会社の本店にあたる黒木本店を推してくれたんです。

正直、紹介を受けるまで会社のことを全然知りませんでした。

循環型の農業もやっているなど、会社の取り組みを知ることで興味をもち、就職の面接で初めて会社や工場に足を運びました。どこに行っても、すみずみまできれい。

食品科学科で「きれいにする」というのがどんなに大変なことか分かっていたので、ここまできれいに保てるのはすごい会社だなと思い、入社を決めました。

就職することが決まってから知ったのですが、黒木本店の焼酎の原材料で使用している芋は、叔父がつくっていた芋でした。自分もつくっていた芋で、会社の焼酎ができていた。不思議な縁ですよね(笑)

手づくりにしか出せない味と品質を追求する日々 ー

現在のお仕事内容について教えてください

焼酎とGIN、ウイスキーの製造を行っています。

18歳で入社して9年。最初は黒木本店に入社して、3年前に別蔵の尾鈴山蒸留所に異動しました。

アルコール発酵のためには、米のデンプンを糖に変える必要があるのですが、その役割を果たすのが麹菌。黒木本店では、米を蒸して放冷、麹菌を付けるまでドラムという機械を利用します。

尾鈴山蒸留所では、全てが手仕込み。400kg の米を蒸して、自分たちで米を外に出して冷やし、麹菌を付けていきます。

麹菌も生き物なので、麹菌が育つのに最適な温度のうちに、お米全体に麹菌を付けていかなくてはなりません。麹菌を付けるための箱にお米を移すと、外側は冷えやすく外気に当たらない中側は熱がこもるので、温度を均一にするためにお米の山をつくります。山のつくりによって、水分の飛び具合や温度の均一性に影響するので、次の日の麹の出来がガラっと変わってくるんです。

山をつくるときの手の角度・指の本数・指を入れる場所・山の幅と厚みなど、先輩のやり方を真似たとしてもうまくいかない。たぶん手のサイズなどでも違ってくるのかなと思います。

気温や湿度にも左右されるので、3年経っても、毎回同じようにつくりあげることができず難しいです。毎年、毎日、まだまだ納得できないなぁと感じています。

仕事のやりがいを感じるのはどんなときですか?

焼酎蔵元が一同に会するイベントで、自分がつくった焼酎を、自分の手でお客さまに提供するときです。

ある年に「最後に他とは違うような焼酎を飲みたい」と訪れたお客さまがいて。味わい的にパンチがある麦焼酎の「山猿(やまさる)」を提供したんです。麦チョコみたいな香りがしますと伝えて、お湯で割って渡したら「本当にするね」って喜んでくれました。

それから毎年、イベント終了5分前に「やっぱり山猿を飲んでからじゃないと終われない」と言って、最後の締めとして訪れてくれています。

自分でつくった焼酎をおいしいと飲んでくれた人が、「今年も来たよ」とまた訪れてくれる。一番うれしい瞬間だし、仕事のやりがいを感じますね。

“さまざまな選択肢がある”ということを一度考えてみるのが良いのかも

今後の目標や夢を聞かせてください

自分が入社する前に入社した人との間には、7年の空白があります。若手の中では自分が一番の年長者。尾鈴山蒸留所の良い雰囲気を受け継いでいき、どの場所にいっても同じ雰囲気をつくれるようにしていきたいと思っています。

あとはイベントのときに尾鈴山蒸留所に興味を持って、飲む人が増えてくれるとうれしいです。

手仕事で生産できる量には限界があります。規模を大きくすれば良いというものではありません。今あるものの質を高め、いろんな人に知ってもらって、飲んでもらうことを大事にしていきたいです。

高校生のころの自分にアドバイスをするならどんなことですか?

「いろんな人の意見を聞くだけじゃなく、自分で調べることも大事」ということ。高校生のころは、卒業したら就職という選択肢しかなかったこともあるんですけど、それ以外の道を考えることはまったくありませんでした。進学や留学などさまざまな選択肢を、自分なりに一度調べておけば良かったなって思います。

今、新しく入社してくる人は大卒の人もいて、地頭の差を感じるんです。より勉強して学んでいる分、見えてくるものも違ってくるのかなと。

高校では学ぶ期間、学ぶ内容も限られています。高校とはまた違ったことを学べる環境に自分の身を置けば、もっと視野を広げられたのかなと思いますね。

ただ、結果的には今の道を選んで良かったです。会社で妻と出会うことができ、子どもも授かりました。

仕事から帰ったら、妻が料理をしている間に6ヶ月の息子を抱っこ。休日は気分転換も兼ねてドライブや買い物。幸せな日々を過ごしています。

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