学生のころは興味のあることしかしていませんでした ー
学生のころはどんな生活を送っていましたか?
小学生のころから食品関係の仕事に就きたいと思っていて、加工品のほうがより多くの人に届けられると考えたので、高鍋農業高等学校の食品科学科に進学しました。
高校生のころは、自分が興味のあることしかしていなかったです。
食品関係の授業と僕の趣味だった微生物学の授業以外は寝ていて、部活のラグビーに行くという生活。 1 日の半分ぐらいは寝ていたので、先生に呼び出され怒られていました(笑)
加工品をつくる前に食材や料理のことを知っておかないといけないと思ったので、高校 2 年生のときに大阪の辻調理師専門学校まで見学に行きました。
高校卒業後は辻調理師専門学校で学んだ後、神戸のホテルに就職して2年ほど勉強させていただきました。
食品関係のお仕事に就きたいと思ったきっかけは?
父が自衛隊で調理師をやっていて、1日3000人分くらい調理していたんです。そんな父を見て、小学5年生ぐらいから調理師や食に関する仕事に就きたいと考えるようになりました。
祖父や親戚などはトマト・お米・牛といった農業を営んでいて、食に関するものが身近だったこともあり、そのころから積極的にお手伝いもするようになりました。
調理師資格の勉強も始めて、小学校5年生の時点でほぼ満点でした。
“宮崎には何もない”と思わず、宮崎を誇りに思ってほしい
今の会社で働くきっかけは?
宮崎に帰ってきて、ハローワークで見つけたのが今働いている会社「南国CBF 」です。そのころの南国 CBF は 2 年目のカフェで、同時に都農町を活性化させるための事業もしていました。
僕は会社が“町の事業により力を入れていきたい”という段階の、正社員1人目として入社しました。
現在、入社して8〜9年目。ふるさと納税や町のイベント、ご当地グルメコンテストなどのメニュー開発や店舗運営など、本当にいろんな経験をさせてもらいました。
“新富町の松浦牧場さんの牛乳を使い、もっと皆が愛する商品が作れないか?”というところから「南国プリン」が生まれて、南国プリンというお店を開きました。
お仕事のやりがいを感じるのはどんなことですか?
宮崎の人や町との縁、つながりを一つのプリンにぎゅっと詰めて、多くの人に届けられることです。
農家さんとのつながりをはじめとして、宮崎には魅力的な食材があふれていて、直接現地に足を運んでお話しできるなど距離がすごく近い。ここだから、この宮崎の南国プリンだからこそ、そういうことができるのかなと思います。
パッケージの「宮崎から愛を込めて」にもあるように、宮崎の、宮崎らしい、宮崎から届ける商品。
こういうコンセプトのプリンって観光向けや、県外向けのイメージが大きいですが、地元の人が何回も買いに来てくれたり、県外の人に贈ってくれたりするんです。
それって「宮崎にはこんなおいしいものがあるんだよ」って言ってくれてるようなものだと思っていて、宮崎を誇りに思ってくれてるのかなって感じて、本当にうれしいですね。そのためにやってるみたいなものです。
「失敗はいくらでもしていい」と分かると生きやすくなる
高校生のころにやっておけば良かったということはありますか?
英語の勉強ですね。「高校生のうちに勉強をしておいた方が良い」というアドバイスをよく聞くと思うんですけど、勉強をしていないと世界が狭くなるんです。
日本語に比べて、英語圏はかなり広い。英語を学ぶだけでさまざまなメニューを知ることができるし、それだけ世界が広がるんです。
今の仕事柄、英語が必要になる機会が多く、高校生のころにちゃんと英語を勉強しておけばよかったと思いながら、幅を広げていくためにも、今、勉強をしているところです。
高校生に向けてアドバイスをお願いします。
2つあります。
1つ目は「何でもやってみよう」。好きなことでも嫌いなことでも、何でも良いからまずは 1 回やってみる。経験は無にならないし、最終的にどこかしらで生きるから。
2つ目は「失敗はいくらでもしていい」。僕は高校生のころ、失敗したくない気持ちが大きかったんです。
怖いという臆病な気持ちよりは「めんどくさい」のほうが近くて。“どうせ失敗する”という結果が見えることはしたくなかった。
初めて就職した会社ではたくさん失敗して、散々怒られました。でも「失敗しても取り返すことができれば、いくら失敗してもいい」ということに気付いたら、失敗が怖くなくなりました。
「失敗してもそのままにせず、次にどうすれば良いか考えることができれば、失敗してもいい」ということだけは覚えておいてほしいです。
それが分かるだけでも、かなりいろいろとやりやすくなります。そして生きやすくなるはずです。
最初のアドバイスにつながるけど、とりあえず何でもやってみましょう!ってことですね。